2.昭和58年〜昭和62年
この時代は、私の現役時代にあたる。この4年間、私は柳田監督(1期主将、初代監督)佐藤
ヘッドコーチ(5期主将)に御指導頂いた。
入学当初は、学内における我が部の評判は決して良いものではなかったが、入部してみると魅力
的な先輩ばかりであった。運動能力的にも高い方ばかりであったものの、部員数が4学年で20
名前後と少なく、常に1年生にレギュラーを任したチーム作りを強いられていた。膝の靭帯を切
りながら走る平塚さん(10期主将)や、手の甲を骨折しながらリーグ戦後半からQBにコンバ
ートされた平野さん(11期主将)等々と、大半の方が大怪我と戦いながらプレイされ、その姿
に感動した熱く厳しい毎日でった。

この時代にあって昭和61年が「我が部の一つの転機」の様に思える。この年で山中湖の夏合
宿が最後と言うこともその表れであり、以降続く創価の女子マネージャーの歴史も、この年に入
部した渡辺さん(15期)から再スタートする。部員数も少しづつ増え始め、リーグ戦で2勝し
最下位を脱出できたのは、紛れも無く富永君(14期主将)を初め、後輩達の活躍によるもので
あった。
尚、この頃我が部は「スティンガーズ」と名乗り、これは斉藤さん(11期)がロック・ミュージシャン
のスティングと映画の「スティング」が好きだった事から名付けられたものである。