3.昭和62年〜平成2年
昭和62年に小野博也監督との衝撃な出会いがあった。この年、私は殆どチームに接していないので、当時のことは後に聞いただけであるが、この年の春、偶然にも東京富士美術館に来られていた小野氏が、たまたま練習風景を目に入れた事が我が部に幸運をもたらした。
関学OB及びバンガーズOBから見た創価大学アメフト部の我流の練習方法のやり方に、居ても立っても居られなかったのであろう。突然ダミーの前に登場し手本と指導された。当時の主将の富永君(14期)がコーチとして今後も御指導頂き
たいと要請。オープン戦を見て判断材料とする事となり、それはある1部上位校との試合であった。
その大学は、下位校の我が部に対し、水のシャワーや、「出て行け!」とボールを投げるなど、
酷い扱いをした。それを目の当たりにされた怒りがきっかけとなり、小野氏はコーチを引き受け
てくださった。引き受けるとなったら、徹底した指導が始まり、以降は小野氏の考え方・行動力に、
歴代のアメフト部員は魅了されていくこととなる。
昭和62年のリーグ戦の青学戦より、試合前のミーティングがスタート。この年は4勝し強い
創価の歴史が再スタートする。

翌昭和63年より小野監督体制がスタート。この年に初めて春の関西遠征が始まった。平成元
年の関学JVとの死闘、翌平成2年には名QB岸田君(17期)を擁して関学JVに勝利するとゆう
輝かしい歴史を刻んだ。特に平成2年の試合は、大雨の中で行われ岸田君の発熱と厳しかったが
直前からの快晴、岸田君の回復、関西の地元の方々に支えられてのドラマがあった。
尚、アメリカンフットボール精神である「勇気・強調・犠牲」は、この時代に初めて小野監督
から教わり、現在の部訓である「自主・謙虚・知力・忍耐」は、平成2年に出来たものである。
因みに私は昭和63年秋よりグランドに足を運び始め、小野監督より「コーチをやって貰える
やろ。」との言葉に、当時は片道4〜5時間かけて通っていた事などから、どうしようと迷う筈
なのだが、何と「今の現役がコーチとして戻るまでなら・・・」との思いで、簡単に返事をして
しまった。これがきっかけで現在もコーチをさせて頂いている。(今思えば自分自身にとって本
当に良かった。)