4.平成3年〜平成6年

この頃より学生アメリカンフットボールは、大きな変化があった。各企業が力を入れ始めた
影響もあるのか、各大学、特に2部リーグの学校側の対応も含めたレベルアップを感じざるを
得なかった。具体的には、各学生の大型化、部員数の増加(2部なら60名)、セレクション
による経験者の増加(2部レベルならQB,LBは経験者)が挙げられよう。
そんな中、平成3年に我が部はオフェンス力不足が響き、リーグ戦は最下位。入替戦は後に
日本一のTEと言われるRB友添(現シルバースター)率いる東農大に惜敗し3部降格す。
翌年のスタートに当たって私は進言した。「オフはなし!練習量で2部に戻るしかない!」
これは今までの私の常識であり、監督も賛同して頂けるものと思料した。ところが、監督の考
えは違った。「今の形で2部に戻ったとしても、2部維持のチームがやっとになる。2部に戻
った時は1部を狙えるチームになって戻ろう!その為には、先ず部員を増やすことが先決だ。
3部に落ちたからこそ出来ることをしよう!」との方針であった。
そこで具体的に動いたのが、週休2日制の導入と、毎日練習に参加できないメンバーの勧誘
であった。世間の学生は裕福であったが、我が大学の学生はまだまだ貧しい生活をしている者
が多かった。当時は現役プレーヤーや特にマネージャーからの反対はあったが、部員数は徐々
に増え始め、中でも高校生屈指のQBと言われた寺田君(24期)の加入も大きかった。又、
コーチングスタッフも揃い始めた。今思い返せば、小野監督の方針と当時の現役プレーヤーの
「3部で戦うことは我が使命!」との前向きな決意が、名QB矢野君(21期)を擁しての、
強い創価の2部復帰、その後の2部優勝への因となった事は、言うまでも無い。
現役手作りの部旗は昭和62年に渡辺MGが片側を作り、その時1年生だった19期のMG
が平成4年に完成させた。そして、20期の山崎主将が千羽鶴を折り、現在の部旗が完成。正
しく手作りの庶民的な我が部の象徴と言えよう。
尚、チーム名を「ブルーライオンズ」と名乗ったのは、この頃からと記憶している。青年の
青、青春の青、そして獅子の如く、正に青獅子として奮い立った頃であった。